人間失格 ★★☆☆☆
文章は古典文学にしては読みやすい。
しかし、一文が非常に長く、主語がなんだったかと戻る作業があって分かりづらい。
タイトルはなんともインパクトがある。今でもそうなんだから、当時は相当だったろう。
中には、圧倒的な人間不信が表現されている。
しかし、その形成過程は描かれていない。
先天的なものなのか?
後天的なものなのか?
人間不信から道化を演じていると言っているが、「女から金を借りるが返さない」、「浮気をする」という人間性から到底そうは思えない。
道化こそが真の姿なのではないかと思った。
また、自殺未遂が数回あることも気になる。
失敗したときの後味の悪さ、究極の恥を何度も味わいたいだろうか?
自分だったら、二回目の自殺は確実を以てするだろう。
それをしなかったのは、単なる”かまってちゃん”に映った。
苦役列車と同じくまったく共感できなかった。
星2つ。
p.58
それは、自分とは形は違っていても、やはり、この世の人間の営みから完全に遊離してしまって、戸惑いしている点に於いてだけは、たしかに同類なのでした。そうして、彼はそのお道化を意識せずに行い、しかも、そのお道化の悲惨に全く気がついていないのが、自分と本質的に異色のところでした。
他人を見下すのは得意だ。
p.84
弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。幸福に傷つけれることもあるんです。
面倒くさいな。この自己憐憫、自己弁明は、苦役列車の主人公を思い出させる。
その一方、「女から金は借り手も返さない」、「浮気をする」。
なんとも都合の良いものだ。
p.107
ヒラメの話方には、いや、世の中の全部の人の話方には、このようにややこしく、どこか朦朧として、逃げ腰とでもいったみたいな微妙な複雑さがあり、そのほとんど無益と思われるくらいの厳重な警戒と、無数といっていいくらいの小うるさい駆引とには、いつも自分は当惑し、どうでもいいやという気分になって、お道化で茶化したり、または無言の首肯で一さいおまかせという、謂わば敗北の態度をとってしまうのでした。
p.192
堀木のあの不思議な美しい微笑に自分は泣き、判断も抵抗も忘れて自動車に乗り、そうしてここに連れて来られて、狂人という事になりました。いまに、ここから出ても、自分はやっぱり狂人、いや、癈人(はいじん)という刻印を額に打たれることでしょう。
人間、失格。
もはや、自分は、完全に、人間でなくなりました。
今まで自分以外を人間と呼称していて、まるで自分が人間ではないかのようだった。しかしこの表現を見ると、自分が人間であったことに未練があるようだ。
内容(「BOOK」データベースより)
「恥の多い生涯を送ってきました」3枚の奇怪な写真と共に渡された睡眠薬中毒者の手記には、その陰惨な半生が克明に描かれていました。無邪気さを装って周囲をあざむいた少年時代。次々と女性に関わり、自殺未遂をくり返しながら薬物におぼれていくその姿。「人間失格」はまさに太宰治の自伝であり遺書であった。作品完成の1か月後、彼は自らの命を断つ。