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バカの壁 2015年5冊目

バカの壁 ★★☆☆☆


一元論の危険性こそが著者の言いたかったことだろう。


頭でっかちではなく体を動かせというのは納得する。
というのも、ムツゴロウさんの言葉を思い出したからだ。内容は違うかもしれないが、次のようなことを言っていた。
「最近の子は蜘蛛についてとても詳しい。足が何本あるかとか大きさとか図鑑に載っていることに関してはとても詳しい。でも触ったら柔らかいとか、噛んだらどういう味がするかを経験しない。」


だが「個性的であったら精神病棟送りになっている」、「百姓には、土地がついているからものすごく強い」など極論、思い込みが過ぎて納得いかなかった。これこそがバカの壁の内側にいることなんじゃないか?




p.21

私自身は、「客観的事実が存在する」というのはやはり最終的には信仰の領域だと思っています。なぜなら、突き詰めていけば、そんなことは誰にも確かめられないのですから。

ちなみに、その代表がNHKである、というのが私の持論です。NHKの報道は「公平・客観・中立」がモットーである、と堂々と唱えています。
「ありえない。どうしてそんなこと言えるんだ。お前は神様か」と言いたくもなってしまう。

こうした「正しさ」を安易に信じる姿勢があるというのは、実は非常に怖いことなのです。現実はそう簡単にわかるものではない、という前提を真剣に考えることなく、ただ自分は「客観的である」と信じている。

なんでも言葉尻を捕らえて食ってかかればいいってもんじゃないと思う。
「(なるべく)公平・客観・中立(を目指します)」ということだろう、と理解して世の中は受け流していると思う。


p.69

「あんたと隣の人と間違えるやつ、だれもいないよ」と言ってあげればいい。顔がぜんぜん違うのだから、一卵性双生児や、きんさん、ぎんさんじゃない限り、分かるに決まっている。「自分の個性はなんだろう」なんて、何を無駄な心配してるんだよと、若い人に言ってやるべきです。

著者はp.20で「身体が個性的なのです」と言っているとおり、個性は外見上の違いであると思って話を進めている。
しかし、個性っていうのは考え方や生き方などが他人と違うことを世の中では言うと思う。


p.86

こうしたブラスαの人間の意識は我々とはかなり異なる「個性」を持っているであろうことは想像に難くない。しかし、その前提には既に脳の大きさ、つまり生物学的、身体的な「個性」が存在しているのです。

p.151

だから、検察は嫌がる。

本筋ではないけれども、著者は思い込みが激しい性格のようだ。



p.164

学問というのは、生きているもの、万物流転するものをいかに情報という変わらないものに換えるかという作業です。それが本当の学問です。そこの能力が、最近の学生は非常に弱い。
逆に、いったん情報化されたものを上手に処理するのは大変うまい。

商品説明
2003年を代表する大ベストセラーであり、タイトルがこの年の流行語にもなった本書は、著者の独白を文章にまとめるという実験的な試みであった。「人間というものは、結局自分の脳に入ることしか理解できない」、これが著者の言うところの「バカの壁」であり、この概念を軸に戦争や犯罪、宗教、科学、教育、経済など世界を見渡し、縦横無尽に斬ったのが本書である。
著者は1937年神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学医学部卒業後、解剖学者として活躍し、95年に東京大学医学部教授を退官後は、北里大学教授、東京大学名誉教授に就任した。また数多くの話題の書を著し、『養老孟司の“逆さメガネ”』『まともな人』『いちばん大事なこと―養老教授の環境論』『唯脳論』などがある。

本書の魅力は、容赦なく社会を批判する痛快きわまりない養老節にある。「現代人がいかに考えないままに、己の周囲に壁を作っているか」、つまりあの人たちとは話が合わないという「一元論」が「バカの壁」の元凶であり、アメリカ対イスラムの構造や日本の経済の停滞などもすべてこの理論で説明されるという。一方で、イチロー松井秀喜中田英寿の際立つ能力を、脳の構造で解明してみせたり、「学問とは生きているもの、万物流転するものをいかに情報に換えるかという作業である」という骨太の教育論をも展開している。解剖学者の真骨頂を堪能できる価値ある1冊である。(田島 薫)