「新しい道徳」を読んだ。
- 作者: 北野武
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2015/09/10
- メディア: 単行本
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為政者にとって便利なように道徳はつくられるので、為政者が変われば道徳も変わる。
突然、黒だったものが白になる。
道徳というのは普遍的ではないことを理解して、今教えられている道徳が本当なのか自分で考え、自分の道徳をつくることが大事だという趣旨。
今まで、教えられた道徳が正しいかどうかなんて疑ったことなんてなかったし、道徳の根拠すら考えたこともなかった。
p.43
なぜそうなのかなんて理屈は、あんまりいわなかった。それでも、その母親の一言のおかげで、俺は行列になれべないおとなになった。
ただ、母親の「行列に並んでまでモノを喰うな」という”道徳”は、しっかり俺という人間に染み込んでいる。
どうして染み込んだかといえば、母親が心の底からそれを軽蔑していたからだろう。
なぜ駄目なのか理解なくただ従っているのは、洗脳じゃないか。それはたけし本人が道徳の授業の駄目な点だと言っていたのに。
p.111
牧場主が自分の都合で牧場の柵をつくるように、権力者は自分の都合で道徳をつくる。都合が変われば、道徳もコロコロ変わる。
コロコロ変わるのが道徳の宿命なのだから。
学校で教わった道徳を、絶対だと信じるからおかしなことになる。
小学生の頃の自分は全く疑わずに信じていた。
p.131
昔ながらの精神主義は、働きアリをつくるのには都合がいいかもしれない。けれど、今の社会に必要な柔軟な想像力を育てるのには向いていない、と俺は思う。
ホリエモンも似たようなことを言っていた。
p.190
世の中の変化とともに、人や世界との付き合い方が少しずつ変わっているだけのことだ。世の中は別に悪くなんかなっていない。子どもたちの道徳観念が乱れているわけでもない。いやむしろ、より道徳的になっているといってもいいかもしれない。
(略)
古臭い道徳を子どもに押しつけたって、世の中は良くなんかならない。そんなことより、自分の頭で考え、自分の心で判断できる子どもを育てるほうが大切だろう。
そのためには、まず大人が自分の頭で考えることだ。
道徳を他人まかせにしちゃいけない。
二〇一八年、道徳を教科化? だけど、その前に……、
『日本人にとって、「道徳」とは何か?』
この問いに答えられる、親や教師はいるのだろうか。
まず最初に大人たちが、真面目に考えた方がいい。稀代の天才が現代の核心をえぐる、未だ嘗てない道徳論!
「時代を作る人は、いつだって古い道徳を打ち壊してきた。誰かに押しつけられた道徳ではなく、自分なりの道徳で生きた方がよほど格好いい。
自分なりの道徳とはつまり、自分がどう生きるかという原則だ。
今の大人たちの性根が据わっていないのは、道徳を人まかせにしているからだ。それは、自分の人生を人まかせにするってことだと思う」【内容】
第一章 道徳はツッコミ放題
時代が変われば、道徳も変わる/これから人生が始まる小学生に自分を見つめさせて、なんの意味があるのか/人の心の優しさにつけ込む詐欺師は、とても道徳的に見える/道徳は人間のもの。サルだのクマだのに語らせてはいけない/ほか第二章 ウサギはカメの相手なんかしない
現代では、ウサギは競走中に昼寝しないし、そもそもカメなんて眼中にない/インターネットで馬鹿が利口になるわけじゃない/現代は、人間関係がゼロでも生きられる時代/数字で見れば、明らかに社会のモラルは向上している/ほか第三章 原始人に道徳の心はあったか
氷河期に突入した7万年前、道徳の卵が生まれた!?/金持ちよりも、貧乏人の親の方が、子どもを厳しく躾ける/誰かに押し付けられた道徳に、唯々諾々と従うとバカを見る/勤勉や勤労が道徳なのは、いったい誰のためなのか/ほか第四章 道徳は自分で作る
昔ながらの精神主義は、働きアリを作るには都合がいい/俺たちに断りもなく、どこの誰が、現在の道徳を決めたのか/友だちが一人もいなくなって、幸せに生きてる奴はたくさんいる/大学を辞めるまでの俺は、母親の道徳観の中で生きていた/ほか第五章 人類は道徳的に堕落したのか?
さまざまな宗教を取り入れる日本人の知恵を世界に広めよう/食い物とは、他の生きものの「命」だ/環境破壊の問題も、要するに人間が道徳を忘れたから起きた/これから先は、個人の道徳より、人間全体の道徳がずっと大切になる/ほか