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憲法九条を世界遺産に 2015年23冊目

憲法九条を世界遺産に ★★★☆☆




2006年の護憲派2人の対談。

中沢が大田のよいしょをするというスタイル。
中沢は人や作品や挙げるのがとても多く回りくどいのが気になった。


二人の対談は、まるで美術品を愛でるように憲法9条を扱っている。
憲法9条は理想だ。現実にはそぐわない。犠牲も覚悟しろ。」という趣旨。



憲法9条世界遺産に」に関しては反対。ユニークではあるが、たかだか70年そこらの文言だ。もっと長い期間見守る必要があると思う。


護憲派改憲派の対談のほうがもっと良かったのでは。
でないと、このようによいしょ・よいしょになってしまう。

p.59

自分の国の憲法は自分の国で作るべきだと、よく言います。でも僕は、日本人だけで作ったものではないからこそ価値があると思う。

p.79

中沢

日本国憲法の文言をそのまま守っていると、現実の国際政治はとてもやっていけないよ、ということはほんとうです。北朝鮮が日本人を拉致した。こんな国家的暴力にどう対処するんだと憲法に問いかけても、憲法は沈黙するばかりです。いつだって神々は沈黙するんですよ。イエス・キリストだって十字架のうえで、このまま私を見殺しにするんですか、と神に向かって訴えたけれど、神は沈黙したままでした。
おそらく日本国憲法も、そういうものだろうと思うんですよね。それは言葉にされた理想なのですから、現実に対していつも有効に働けるとは限らない。働けないケースのほうがずっと多いでしょう。

憲法を神聖なものだと思ってるのか?護憲の根拠だろうか。
むしろ現実に合わせて人間の作った憲法を変えていくべきだと思う。


p.102

大田

ピカソゲルニカ

ピカソが頭のなかで見たものに置き換えたほうが、むしろストレートに訴えかけてくるということがある。それがピカソの芸だとすると、僕は、原稿でもテレビでも、そのへんを省いてストレートな発言ばかりしている。自分の想像力や芸のなさという、自分の中の戦いみたいなものもある。

p.138

人は、なぜ右翼と左翼に分けたがるんでしょね。右翼も左翼も、自分の役割を意識した瞬間に、何か捨てるものがあります。左翼であるなら、これは言ってはいけないみたいな。

p.144

中沢

理想的なものを持続するには、たいへんな覚悟が必要です。覚悟のないところで、平和論唱えてもダメだし、軍隊を持つべきだという現実論にのみ込まれていきます。多少の犠牲は覚悟しても、この憲法を守る力があるということを、どう皆が納得するか。

本当にそんな覚悟もっているのか?




実に、日本国憲法とは、一瞬の奇蹟であった。それは無邪気なまでに理想社会の具現を目指したアメリカ人と、敗戦からようやく立ち上がり二度と戦争を起こすまいと固く決意した日本人との、奇蹟の合作というべきものだったのだ。しかし今、日本国憲法、特に九条は次第にその輝きを奪われつつあるように見える。この奇蹟をいかにして遺すべきか、いかにして次世代に伝えていくべきか。お笑い芸人の意地にかけて、芸の中でそれを表現しようとする太田と、その方法論を歴史から引き出そうとする中沢の、稀に見る熱い対論。宮沢賢治を手がかりに交わされた二人の議論の行き着く先は…。