「幸せになる勇気」を読んだ。
- 作者: 岸見一郎,古賀史健
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2016/02/26
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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- 作者: 岸見一郎,古賀史健
- 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
- 発売日: 2013/12/13
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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アドラー心理学の実践だが、どんなに説明されても夢迷言にしか聞こえない。そんなことできたら苦労はない。
それでもアドラー心理学を綺麗さっぱり頭から消し去ることができない。
何かが引っかかる。
悪いのはあの人、かわいそうな私から脱却したい。
承認欲求を満たすために生きるのは息苦しい。
アドラー心理学は現実的ではないけど、正しいような気がする。
何れにせよ今を打開するには、今やっているやり方では行き詰まるだけだ…
もう一回前作の「嫌われる勇気」を読んでみたい、読まなければならないと思った。
ところで、青年はこんなに口が悪かったか?
青年の頻繁な侮辱的で攻撃的なセリフにゲンナリ。
この本の概要
p.290
前作『嫌われる勇気』は、アドラー心理学の存在を知り、アドラーの思想を概観するための、いわば「地図」のような一冊でした。
他方、本書『幸せになる勇気』は、アドラーの思想を実践し、幸福になる生を歩んでいくための「コンパス」となる一冊です。前作で提示した目標に向かって、どのように進んでいけば良いのかを示す、行動指針と言い換えてもいいでしょう。
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哲学と宗教の違いについて
p.29
最大の相違点は「物語」の有無でしょう。宗教は物語によって世界を説明する。言うなれば神は、世界を説明する大きな物語の主人公です。それに対して哲学は、物語を退ける。主人公のいない、抽象の概念によって世界を説明しようとする。
そうだとしたら、哲学ってキリスト教が盛んな西欧でよく生き残ったな。
p.30
哲学は学問というより、生きる「態度」なのです。おそらく宗教は、神の名の下に「すべて」を語るでしょう。全知全能の神と、その神から託された教えを語るでしょう。これは哲学と、本質的に相容れない考え方です。
そして、もしも「自分はすべてを知っている」と称する者、知ることや考えることの歩みを止めてしまった者がいるとしたら、その人は神の実在や不在、また信仰の有無にかかわらず、「宗教」に足を踏み入れている。
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反抗的な生徒、喧嘩をする生徒に対して
p.104-p.125
結局、反抗的な生徒を叱らずにどうするかについて答えてないような。
三角柱の「これからどうするか」を話させるということなのか?
そんなの受け入れると思えない。
手助けをして自立を促すというのでも、今反抗的な生徒をどうするかについて答えていないと思うんだけど。
煙に巻かれた感じだ。
p.159
アドラーに触れた人の多くは「それは理想論だ」「非科学的だ」と切り捨てようとします。なのに、捨てられない。心のどこかに違和感が残る。自らの「嘘」を自覚せずにはいられなくなる。まさに人生の劇薬といえるでしょう。
まさに自分。
p.266
アドラー心理学は、あらゆる決定論を否定し、運命論を退けます。われわれに「運命の人」などいないのだし、その人が現れるのを待ってはいけない。何も変わらない。この原則を譲るつもりはありません。
しかし、パートナーと一緒に歩んできた長い年月を振り返ったとき、そこに「運命的ななにか」を感じることはあるでしょう。その場合の運命とは、予め定められていたのものではない。偶然に降ってきたものでもない。ふたりの努力で築き上げてきたものであるはずです。
これはオリエンタルラジオの中田が同じことを言っていたが、この本を読んだんだろうか。
中田は、結婚する前に「この人で良いんだろうか?この人が理想の人なんだろうか?どこか他に理想の人がいるんじゃないか?」と不安になった。
悩んだ末に、何年か経った後に「この人が運命の人だったんだ」と言えるように二人で歩んでいこうと決意したそうだ。
◆大ベストセラーとして空前のアドラーブームを巻き起こした『嫌われる勇気』の完結編!◆
前作『嫌われる勇気』でアドラーの教えを知り、新たな生き方を決意した青年。その彼が3年ぶりに哲人のもとを訪れる。