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燃えよ剣〈下〉 2014年6冊目

燃えよ剣〈下〉 ★★★★★


松前藩の身重の婦人や新撰組隊士を助けたり、函館市民からの戦費徴収に反対したりと、上巻で人斬りと恐れられた血なまぐさい戦闘マシンのようなイメージを持っていた自分には驚きだった。

興味を持ったので次は薩長側の本を読んでみようと思う。


燃えよ剣〈上〉 2014年5冊目 - How Many Books Do You Have?


p.55

歳三は、攘夷も開国もない。
事がここまできた以上、最後まで徳川幕府をまもる覚悟になっている。

p.85

どうなる、とは漢の思案ではない。婦女子のいうことだ。おとことは、どうする、ということ以外に思案はないぞ

p.87

将軍が幕府を売った、とは妙な理屈だが、幕臣でさえそういうことを大声叱呼(しこつ)して論ずる者があった。いまや混沌。
慶喜は、才子である。おそらく、頭脳、時勢眼は、天下の諸侯のなかでも慶喜におよぶ者がなかったろう。
しかし時流に乗った薩長の、打つ手打つ手にはとても抗しようもない。

いったいどんな手を薩長は使ったのだろうか。気になる。


p.88

とにかく見識狭小で、護国の急務が何であるかを知らない。(中略)このさい、国家を鎮め、高い視点からの大方針をもって国の方向を誤たぬ者が出てくれぬものか。

さすが勝海舟


p.97
こうした長州部隊が、新撰組が駐屯する伏見奉行所の門前を、堂々と通過してゆくのである。

複雑だな。
長州は朝命があるから、手を出せば朝敵になってしまうからか。


p.117

慶喜は、知識人である。水戸家から出たために、尊王論者でもあった。

なんでその水戸藩尊王・倒幕の流れがあったのか?
やっぱり幕府が外敵に対して及び腰だったからだろうか。


p.175

そのすきに、慶喜は脱出した。正月六日夜十時ごろである。数人を従えたのみであった。その数人の筆頭が、なんと、かつては京都で守護職で威をふるった会津中将松平容保である。

逃げるくらいならば、素直に降伏すれば以降多くの血は流れなかっただろうに。


p.185

鳥羽伏見における薩軍の銃器と射撃戦法をくわしく話したあと、
「松平さん、新撰組もゆくゆくはあれに切りかえますよ」
「それァいい。賛成です。刀槍どころか、火縄銃やゲベール銃も、もはや銃ではありません。元込の連発銃がそろそろ外国でも出始めている時代です。戦争は兵器が決定します」
「まったくそうだな」

時勢を読めている。
それから歳三がここまで刀にこだわらないとは意外だ。


p.231

「ただ、いまは戦国の世じゃねえよ。たとえ薩長をぶち破って徳川の世を再来させえたとしても、大名制度は復活すまい。フランス国と同様、郡県制度にしようという考えが、大政奉還以前から、幕閣の一部にはあったときいている」

歳三はこれだけ時勢が読めていたんだ。


p.327

総司の死の前月二十五日に、近藤は板橋で斬首された。

近藤は鳥羽伏見の戦いからパッとしなかったなぁ。


p.330

仙台城国分町の「外人屋」に入り、麾下(きか)二千の兵を城下の宿所々々に駐留させ、青葉城内での藩論決定を武力を背景にせまった。

たかだが二千の兵が脅しになるほど仙台藩って弱体化しているのか。
伊達家って数万の兵力があるもんだと思っていた。


p.331

日本最大の艦隊で、官軍は海軍力においてはとうていこれには及ばない。

なんで薩長の摂津上陸を許したんだ?海戦を挑めば当然勝利して、鳥羽伏見の戦いも起きずにすんだのに。上陸されて京を取られたら朝敵になってしまう可能性を考えなかったのか?

その日本最大の海軍は宮古湾戦で甲鉄艦に平行に取り付けなかったり、甲鉄艦との甲板の高さを考慮していなかったりとちょっとお粗末すぎやしないか。


p.372

松前藩というのは、三百諸侯のなかで、知行高をもっていない唯一の藩である。藩経済は、北海道物産でまかなわれている。

今では北海道産でも品種改良された米がとれるが、当時は米がとれなかったということなのか?それとも知行を持つことを許されてなかった?


p.372

夜中、全軍をたたきおこし、
「敵陣を奪う以外に寝る場所はないと思え」
と夜行軍をはじめた。

p.379

江差まで隊士に送らせましょう」
といった。
その隊士を歳三は、とっさの判断で、名指しした。
斉藤一、松本捨助
のふたりである。どちらも新撰組(新選隊)の指揮官ではないか。

内容紹介
幕末の日本で、敵からも味方からも最も恐れられたのがこの男。

幕末の動乱期を、新選組副長として剣に生き、剣に死んだ男、土方歳三の華麗なまでに頑なな生涯。武州石田村の百姓の子“バラガキのトシ”は、生来の喧嘩好きと組織作りの天性によって、浪人や百姓上りの寄せ集めにすぎなかった新選組を、当時最強の人間集団へと作りあげ、自身も思い及ばなかった波紋を日本の歴史に投じてゆく。人気抜群、司馬遼太郎の“幕末もの”の頂点をなす長編。

内容(「BOOK」データベースより)
元治元年六月の池田屋事件以来、京都に血の雨が降るところ、必ず土方歳三の振るう大業物和泉守兼定があった。新選組のもっとも得意な日々であった。やがて鳥羽伏見の戦いが始まり、薩長の大砲に白刃でいどんだ新選組は無残に破れ、朝敵となって江戸へ逃げのびる。しかし、剣に憑かれた歳三は、剣に導かれるように会津若松へ、函館五稜郭へと戊辰の戦場を血で染めてゆく。

著者について
(1923-1996)大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を一新する話題作を続々と発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞を受賞したのを始め、数々の賞を受賞。1993年には文化勲章を受章。“司馬史観”とよばれる自在で明晰な歴史の見方が絶大な信頼をあつめるなか、1971年開始の『街道をゆく』などの連載半ばにして急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。