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無私の日本人 2014年1冊目

無私の日本人 ★★★★☆

 私利私欲に走らず、世の中のために身をささげた穀田屋十三郎、中根東理、大田垣蓮月の3人が紹介されている。

 穀田屋十三郎は有力な商家、中根東理と大田垣蓮月は幼少時から才能に恵まれている。この余裕があってこそ無私に成りえたのではないか。
自分には彼らのように世のため人のためなんて余裕はなく、何をおいてもまずは自分。腹いっぱい食べて、暖かくして寝たい。わかりやすい俗人だ。
 しかし、余裕ができたら世のためにやってみたいことがある。この本を読んでいつか必ず実現してみたいと思うようになった。





p.212

「無益の文字を追いかけ、読み難きをよみ、解し難きを解せんとして、精神を費やし、あたら光陰を失ってはいけない。わたしも、あやうく、指をもって月とするところであった。四書五経は指にすぎない。大切なのはその彼方にある月だ。」
―月を見るものは、指を忘れて可なり
と、東里はいった。この思想は過激といっていい。ほんとうの価値が聖人の教えである四書五経の外にあり、それをつかめば、案内書は忘れ去ってよいとまで言い切った人物は、この時代ほとんどいない。

内容紹介
『武士の家計簿』で知られる歴史家・磯田道史が書いた江戸時代を生きた3人の人物の評伝。仙台藩吉岡宿の困窮を救うために武士にお金を貸して利子を得る事業を実現させた穀田屋十三郎、ひたすらに書を読み、自ら掴んだ儒学の核心を説いて、庶民の心を震わせた中根東里、幕末の歌人にして、「蓮月焼」を創始した尼僧・大田垣蓮月。有名ではないが、いずれの人物も江戸時代の常識や因習を疑い、ときにはそれと闘い、周囲に流されず、己の信ずる道を突き進むことで、何事かをなした。空気に流され、長いものに巻かれるのが日本人だとすれば、3人は「例外的」日本人である。しかし、磯田道史は3人の人生にこそ日本人がもっとも強く、美しくなるときに発揮する精髄を見出した。それは、己を捨て、他人のために何かをなしたい、とひたむきに思う無私の精神である。評伝にとどまらない、清新な日本人論が登場した。