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教誨師 2015年12冊目

教誨師 ★★★★★


教誨師とは「受刑者に対して行う徳性の育成を目的とする教育活動」をする人。更生を目的としている。しかし、浄土真宗の渡邉普相(ふそう)は二度と社会に戻ることのない死刑囚相手に教誨活動を行っている…



普相は死刑は人殺しと断言している死刑反対者だ。死刑囚と何度も面談して情も移っている。しかし、ちゃんと被害者にも会っている描写があるので死刑囚サイドに立った一方的な考えではないようだ。
著者も文面から死刑反対者だと分かる。死刑囚の生い立ち、環境を提示しているが、被害者視点からの描写がまるでない。一方的なのだ。そこが気になる。

連続殺人者白木に「ただ殺したかったから」というだけで殺された少女、警察に犯人に仕立てあげられた同級生の少年のことを思うと、生い立ちや環境なんて関係あるか!と思わずにいれない。普相は言っているじゃないか。「因果とは現世の自分の行い」と。



一番印象に残ったのは横田の壮絶な最後だった。すごく人間臭い。他に母親の代わりになるものが見つからなかったものか…。
次に印象に残ったのが女性の力だ。
子を捨てる母親。母親にすがりつこうとする子を拒絶する母親。その子が殺人者になっても手を差し伸べる叔母。死刑執行前に手製の弁当を差し入れる母親。遺骨を引き取る姪。



読み応えたっぷりで、今年No.1の本になりそう。
裁判員制度が始まり陪審員になる可能性がある日本において、被害者視点の本と合わせてぜひ読んでおきたい1冊だ。



p.23

親が特に病気の子を心配するように、また医者が症状の重い患者から優先的に治療するように、阿弥陀仏も悪人を救うという。そんな「悪人正機説」は、実は自分自身の内面に向き合うことの大切さを諭しているようだ。

p.41

真面目な人間に教誨師は出来ません。ええ、務まりゃしません。突き詰めて考えて追ったりしたら、自分自身がおかしゅうなります……。

p.65

竹内のように信心への疑念も生まれる。だが深まる苦しみと比例するように、残された時間がより密度を増していくことも間違いない。同じ風景も眺める場所が変われば趣を変えるように、今ある「生」もまた、「死」の側から眺めれば異なる輝きを放つこともある。

p.78

古くから犯罪者が寺に逃げ込んだり、寺が犯罪者をかくまって立ち直りを促したり、寺が死刑囚を引き取って一生、修行を積ませたという話は多く伝えられている。法律や道徳の世界では赦されることのない犯罪者や、刑期を終えて行き場のないものを、最後に受け入れてきたのが宗教のようだ。

宗教にはそういう役割もあったのか。


p.91

病人には医者がいる。医者が症状を診断し治療してくれる。犯罪者にあるのは法律だ。しかし法律は裁くだけで後々の面倒は見てくれない。死刑というのは、その法律が犯罪者を「もはや用なし」と切り捨てるのに等しい。彼らのことを顧みようとするものなど誰もいない。だからこそ最後の頼みは、自分たち教誨師なのだと、と。

p.124

死刑事件の加害者である死刑囚には、大橋と同じような被害者的な恨みにとらわれている者があまりに多く見受けられた。幼い頃から家や社会で虐げられ、いわれのない差別や人一倍の不運に晒されて生きてきた者が圧倒的に多い。そして成長するにつれ、自己防衛のために自己中心の価値観しか持てなくなっていく。だからと言って罪を犯すことが許されるわけではなく、自業自得と言ってしまえばそれだけのことだが、そうして行き着いた先が「処刑台」では救われない。

p.125

見えない傷は、人間の法律では裁けない。何より言葉を吐いた側の多くは、自分がそんな大変な事態を招いていることなど気づいていもいない。まさに浄土真宗で言う<悪人>と<善人>の話しである。

実は被害者も善人のふりをした悪人か。


p.134

私はもう二度と外に出てはいけない人間なんです。外に出たら、私は必ず、また殺ります。自分の腹の奥から衝き上げてくる衝動を抑えられないんです。だから、私のような人間は死刑になるより道はないんです。

中にはこんな生粋の殺人鬼もいるのか。


p.167

やはり1日でも長くこちらにいたい。一秒でも生きていたい。しっかり罪を償って喜んで阿弥陀様のいる浄土へ行くことなど、今の私にはとても出来ません。

死刑囚でも生きたいのか。自分なら自由がなく狭い獄中で何年、何十年も死ぬまで生きるくらいなら、喜んで死を選ぶけどな。


p.189

面会にやってきたのはいずれも母親だった。父親も健在だったが、どういうわけか往々にして父親はこういう場所にはやってこない。必死の形相で駆けつける母親の中には、せめて最期の食事は自分の手料理を食べさせてやりたいと、拘置所からの電報を受けて急ごしらえで作った弁当を持参するものも多かった。

母親の愛ってすごい。


p.191

山本は、今生最後の風景をじっと目に焼き付けているようだった。その目に映る群衆の誰ひとり、この車の終点が刑場であることを知らない。再び皆が夕刻に家路を急ぐ頃、この男の命が消えていることも想像すらしないだろう。

残酷な描写だった。


p.266

教誨の「誨」に、「戒」という字は使わない。それは、彼らを「戒める」仕事ではないからだ。「誨」という字には、ねんごろに教えるという意味が込められている。

教えるというより聞くことのほうがあっていると思う。




内容(「BOOK」データベースより)
一四歳の夏、渡邉普相は広島の爆心地のすぐそばにいた。そこで見たものは、戦争という人間の愚かさが作りだした無用の「死」だった。後年、教誨師となってから見たものは、人間が法律という道具で作りだした罰としての「死」であった。ふたつの死とともに歩んだ僧侶の人生が語りかけること。
著者について
堀川惠子
1969年広島県生まれ。ジャーナリスト。フリーのドキュメンタリーディレクターとして番組制作に取り組むとともに、ノンフィクション作品を発表している。『死刑の基準―「永山裁判」が遺したもの』(日本評論社・2009年)で、第32回講談社ノンフィクション賞を受賞。『裁かれた命―死刑囚から届いた手紙』(講談社・2011年)で第10回新潮ドキュメント賞を受賞。近刊に『永山則夫 封印された鑑定記録』(岩波書店・2013年)。主な番組は『ヒロシマ・戦禍の恋文』『永山則夫 100時間の告白』ほか。