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運命を拓く 天風瞑想録

運命を拓く 天風瞑想録 ★★☆☆☆

 第1章で述べた内容を、手を変え品を変え 第13章まで繰り返すという構成だ。
同じ事が何度も何度も出てくる。そうやって心に刻んでいくものと捉えられれば読めるが、とどのつまり第2章以降同じことが書いあると捉えると脱落してしまう。
だた第1章だけではわかりにくい言葉は章を進むと理解できてくるので、読み進めるのも良い選択かもしれない。

 頻繁に”宇宙霊”という言葉が出てくるが、何かうさんくさい宗教や、うさんくさいスピリチュアルなものと混同してはいけない。
”宇宙霊”とは宗教でいう神、創造主のことと理解した。
この”宇宙霊”は取っつきにくいようだが、自分にはすんなりと理解できた。

 昔、東大大学院の宇宙物理学の教授が、宇宙はどうやって生まれたかという質問に、”母宇宙”から生まれたと答えた。さらに”母宇宙”はどこから生まれたかと聞かれたら、それの”母宇宙”から生まれたと答えた。さらにその”母宇宙”はどこから生まれたか聞かれると、教授は”神”が作ったと言った。

 物理学の教授から”神”という言葉が出るとは思っていなかった。
しかし物質の構成を分子、原子、電子、中性子素粒子と細かくしていき、行き着く先は「それは誰がつくったか?」……”神”が作ったとしか言いようがない。
創造主の存在は間違いないと思った。だから”宇宙霊”という言葉もすんなり理解できたのだ。

総評としては、同じ趣旨「心を積極的にすること」が何章も続くので、流石に途中からくどいと思った。
3,4章で十分ではないだろうか。
なので★2つ

p.6 天風小伝ーまえがきに代えて
奔馬結核になったときの話
キリスト教の名のある牧師が訪れてきてが、ただ「祈れ」というだけであっった。続いて著名な禅の指導者が、ツカツカと病室へ入ってきて、いきなり「肺病やみの若い者は、お前か。馬鹿め!!!」と罵倒して帰って行った。
 世間で著名といわれる人の指導には、理論もなければ、方法もなく、愛情のこもったった説明も無かった。三郎は、腹が立った。
 後に三郎が天風となり、理論も方法も整然とした心身統一法を創見し、その大説法者となり、温かく、多くの人々を救ったのは、この時の、病む者の苦悩の体験があったからにちがいない。

p.10 天風小伝ーまえがきに代えて
カントは、胸に奇形的な疾病をもっていたという。時に訪れてくる巡回医師は、少年カントに向かって「この病は一生治らないだろう。だがあなたの心は病んではいない。これからは、辛い、苦しいといわずに、自分のやりたいことをやりなさい」とさとした。
 それから少年カントは哲学を志し、大カントといわれる程の哲学者になったという。
 三郎の眼はうるんだ。自分の朝から夜まで病を苦しみ、恨み続けていた。自分の生き方の誤りを三郎は痛烈に感じた。

パニック障害の海外本に出てくる、受け流す、受け容れるといった所に通ずる。

p.37 序章 ちょうたんげじ(朝の真理の言葉)
我々の生命の中にある肉体はもちろん、精神生命も、一切の広い意味における人生の事柄を、心の運用いかんによって、決定することができる、という真理を、私は悟り得たのである。

p.96 言葉と人生
「お前は毎朝、朝の挨拶の後、俺はお前に”今日はどうだい”と聞くと、必ずお前は”I am not quite well”というなあ。それをいってそのとき楽しいかい」
と、いわれた。
「いや楽しくはありませんけれども、真実こういう病を持っていますから、朝目がさめますけれども快い気持ちでは覚めません。やっぱり何となく、こう、熱があるように感じ、体の全体がけだるく感じまして、頭は重いし、つまり快適な気分を感じません。」

「お前は自分の使っている言葉によって自分の気持ちがダメにされたり、あるいは非常に鼓舞奨励されたりする直接的な事実を少しも考えていないなあ」
といわれました。
「造物主によって便利な言葉を我々人間だけに与えられているが、言葉というものが、積極的に表現されたときと、消極的に表現されたときとでは、直接的にその実在意識が受ける影響は非常に大きな相違がある。先ほどのように、今日は不愉快ですとか、頭が痛いとか、熱がありますとか、気分が良くない、とかいっているときには、愉快を感じないだろう。今日は嬉しいです、楽しいです、ありがたいです、という言葉を言ったときには、なんともいえない快さを、その気持ちの上に感じるだろう。

そうすると結局、お前の生きる力が、その言葉の善し悪しによって、やはり良くも悪くもなるじゃないか」
「しかし本当に具合が悪いときに、具合が悪いと言っちゃいけないんですか」
「具合が悪いとき、具合が悪いと言って癒るか」

「普段と違って、良くない状態が体に現れてくれば、それを元にして痛いとか痒いとかいいながら、それが元でもっと悪くなりはしないだろうか、死にやしないだろうかというふうに、現実よりも過大に神経を使いはしてないか。それがいけないのだ。略」

悩むことに悩む。これもパニック障害に通ずる。

p.98 言葉と人生
いろいろと理屈を盛んに言って、卑近な学問を研究したために、普通の人よりも人生に関する理屈をべらべらいうだけで、いっているそばから、じぶんのいっている理屈に自分が苦しめられていた、ということを考えてみると、実際自分ながら、あんまりりこうじゃないなぁと思った。

p.99 言葉と人生
積極的な言葉を表現した場合には、生命の一切が極めて状態の良い事実になって現れてくる。けれども、万が一、消極的な、怒り、悲しみ、悶え、迷い、そして悩みが遠慮無く口から出されるという場合には、もう恐ろしい結果を神経系統の生活機能に与えてしまうのである。

心の持ちよう

p.106 言葉と人生
たとえば、体の悪いときに、「ここが疲れた」とか、「ここが痛い」とか、「ここが悩ましい」とかいう、いうのはかまわないが、それは感じなのであるから、逆に言ったら嘘になる。

 痛いのは痛いのでよろしい。けれどもそのあとがいけないのだ。あなた方は「いたくてしようがない」とか、「どうにも死にそうだ」とか、「もうダメだ」という。それがいけないのだ。
 そしてそれをあなた方は、さらに理屈を付けて消極的言葉をわざわざ言う。「痛くてどうにもしようがないから、痛くてどうにもしようがないというんじゃありませんか。」という。
 痛くてどうにもしようがない、といって、どうにかしようがあるか。よく考えてごらん。つまらないことだ。

これも心の持ちよう。

p.128 大いなる悟り
心を積極的にしてみなさい。論より証拠。事実がそれを証明するから。病める人は、その病から心を話してしまいなさい。病の時、病を一生懸命に大事に考えてないと、病が治らぬように思ってるとしたら、大間違いである。
 船に乗っても、もう波が出やしないか、嵐になりはしないかしら、それともこの船は沈みはしないかしら、と考えていたらならば、船旅の良さ、快適さは何もあるまい。人生もまたしかり!

病人の耳に痛い。

p.145 人生と運命
腹の立つことがあろうと、悲しいことがあろうと、瞬間に心から外してしまえばいいんだ。心を積極的にすることを心がけて、自分の心を汚さないようにするには、気がついたらすぐそれを拭いてしまえばいいじゃないか。それをお前は、怒ったり、悲しんだり、痛いとか、憂いとかいう場合、それを感じると同時に、握ったらはなさない。それがいけないのだ。”感じるな”というのではないのだ。
 感じない人間になりたかったら、墓に入ってしまいなさい。そうすればもう何も感じない。

p.155 人生と運命
一生は、何百年生きたとしても、二度とは来ない。
 そう思ったならば、せめて生きている間だけは、どんなことがあっても、ニコニコ笑って行こうではないか。つらいこととか、悲しいこととか、苦しいこととかいうのは、自分の心で決める評価なんだから。

出版社/著者からの内容紹介
生命(いのち)と宇宙の結び目、心が一切を創る。運も成功も健康も、すべて心の働きだ。心に宇宙の無限の力を取り込み、積極的に生きてみよ。多くの人をよりよい人生に導いた、哲人天風 感動の教え!

宇宙本体の力は、人間の心の状態を鋳型として、これを現実化させる自然現象を現す。宇宙を司る宇宙本体の力が、我々の心が取る態度と、まったく同じ態度で我々に臨む、という事実がある。その宇宙本体と常に結ばれている自己を、明瞭に意識して活きると活きないとでは、どれだけ人生に大きな差が出来るかわからない。──(本文より)