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不安のメカニズム―心の病から脱出するために

不安のメカニズム―心の病から脱出するために ★☆☆☆☆

1974年出版であることをまず心に留めておかなければいけない。

パニック障害に関する海外の2つの本に出てきた内容と同じだ。
恐怖を受け容れるということを治療法としている。”受け容れる”ことにこれだけページを割いているのはこの本だけだ。

著者の治療法は以下である。

p.48 単純型神経症の治し方 4つの簡単な原則

-直面すること(Facing)
-受け容れること(Accepting)
-浮かんで通ること(Floating)
-時をたつのに任せること(Letting time pass)

この方法には、なんら神秘的な要素もないし、驚くような点もない。しかし、きわめて多くの人が、この方法に逆行するようなことをして、ますます神経症の深みに落ち込んでいることはまぎれもない事実である。

このままだとよく理解できないが、この反対に治らない例が書かれているので比較すると何となく分かる。

p.49 逃げたり戦っても治らない
治らない例

  • 直面せず、逃げることに夢中になった
  • 受け容れず、ひたすら戦おうとした
  • 浮かんで通らず、”聞き耳”を立て、相手になり、すっかりとらわれてしまった
  • 気短になり、時間の流れの遅いのをもどかしがり、時がたつのに任せることが出来なかった

直面することは分かる。逃げ出さないこと。
じゃあ次の受け容れることとは何か?
それについて詳しく書かれている。

p.53 骨折の治療と変わらない
従って、それを受け容れ、しばらくの間、それを伴侶として共に生活する心構えを持つべきである。

あなたは次第に他の様々な事柄に興味を持つよういになり、”そいつ”がまだ自分のそばにいるかどうか見回すことも次第に忘れてしまう。これが本当の快復の道筋であり、本当の、受け容れである。

本当の”受け容れ”とは”そいつ”を忘れてしまうこと。
海外本は本当に擬人化が好きなようだ。
”そいつ”とは”恐怖”のことだろう

p.54 受容がまず土台になる
”受け容れ”とは
胃の中のものがぐるぐる回り始めたら、好きなように回らせておき、新聞を呼んでいたらそのまま読み続けていく。そして自分自身を硬く締め付けている緊張のいましめをゆるめて文字通り体を深くいすの中に沈め、そして、体内の不快感から逃れようともせず、むしろその感覚の方向に向かって進んでいく。

”不快感の方向へ向かって進んでいく”か。理解できない。
我慢できないと思うのだが。仙人じゃあるまいし。
到底自分には出来そうもない。

p.61 頭が痛い
真に、”受け容れ”る事と、”受け容れ”ていると思っている事とは違う。また、”受け容れ”る事と、”我慢をする”という事もちがう。

p.62 頭が痛い
それでは、我慢に対し、”受け容れ”るということとはどうのようなものであるか。それは、

心臓がドキドキすれば、ドキドキするのにまかせ、いってみれば、「ああ、結構ですよ、どうぞ」といって、当惑や混乱に陥ることなく過ごすことである。
最初の間は、そのように平静に、”受け容れ”る事が出来なくても差し支えない。
初期の段階では、不快な発作が起こり、それが続いている間、あまり大きな注意を払わずに過ごせたらまずまずの成功で、次に、不快感、違和感がつきまとっても、それにかまわず生活し働いていこうという心構えを持つことである。

p.268 自転車の練習のように
理解ができるが、身体が言うことを効かない。
恐慌的発作に襲われるときには、全く考えることが出来ない。従って、それを受け容れ、その嵐の中を歩いて通るというようなことは、実際上出来ないとあなたはたぶん考えるでしょう。しかし、本当はそうではない。あなたは十分考えることが出来るし、そしておそらくは「このような状態から抜け出したい、一刻も早く」とか、あるいは、「これ以上はとても耐えられない」とか考えているはずである。
発作がいかにはげしくても、その間の自分をよく観察すれば、自分に依然として考える能力があることが分かるはずである。そのとき抱く考えが正しいか、間違ったものであるかは、別問題である。発作の波があなたをあらぬ方向へ押し流がしてしまうように感じられても、ちぢこまり、尻ごんだりしないこと、このことを私は強くあなたに望みたい。

以上が”受け容れ”について。
言葉では理解できるが発作の時にこんな態度とれるだろうか?


次に”浮かんで通る”とはなにか?

p.65 ”浮かんで通る”
神経の反応が引き起こす違和感や不快感から脱出しようとしたり、あるいは、その嵐の中を中央突破しようとしたりせず、不快感を感ずる身体をそのまま”浮かせ”、不快感にとらわれず、いわばそれらと一緒に流れていくといった形でただよっていくことである。

p.67
抵抗し、争おうとすれば、かならず緊張が生じ、この緊張が行動を束縛し、阻害するのである。”浮かんで通る”ことを考えると、緊張はとたんにほぐれ、行動の束縛も解消していくのである。

抽象的すぎて理解できない。

p.74 最後の1%
緊張や恐怖があなたのなかにあっても、それらの上を”浮かんで通る”こと。
想念が、いろいろあなたを苦しめるとき、争わず、逃げもせず、それらの上を”浮かんで通る”こと
何事にも争わず、”浮かんで通る”こと
発作が強まり、不快感がその頂点に上り詰めた瞬間においても、100%受容の態度を変えないこと
せっかちにならず、時間が経つのに任せること

”浮かんで通る”に関しては抽象的で理解できない。
自分には”受け容れる”ことと同じ事に思える。
理解できる人がいたら是非教えて欲しい。

p.15 考え方を変えてみれば
いわゆる重症者は、心を乱させる記憶−−特に、度重なる失敗や挫折についての追憶ーーを、軽症者よりもはるかに多く持つため比較的絶望しやすいというだけのことである。長い間苦しんできたからと言って、その人の内部に、何か取り返しのつかない変化が生まれたわけのものではない。だから、もはやどうにも快復できないというようなことはけしてないのである。
あなたがどれほど長い病歴の持ち主であろうとも、あなたの身体は、病歴の短い人の身体と同じように、しきりに快復しようと待ち構えている。
実はこの病気は、この考え方いかんの病気だからこそあなたは快復することが出来るのである。というのは、病気の原因になっている考えは変えようとすれば、幾らでも変えられるものだからである。

p.31 いつも逃げ腰
何が原因で神経症に落ち込んだか

原因を見つけ明らかにすることは、確かに興味深いことである。しかし、私はそうした努力が、長い間神経症に苦しんできた人にとって本当に助けになった例をほとんど知らない。最初の原因が何であれ、治さなくてはならないのは、神経が過敏になっている現在の状態であることをお忘れ無く。

でも知りたいのも人情。今までの本ではほとんどの人が原因不明。自分も同じ。
原因が分かれば対策が立てられるかも知れない。

p.34 最初の徴候
心悸亢進が起こり、一種の恐慌状態に陥る。彼はこんな激しい鼓動が続いたら、どんな丈夫な心臓でも破裂してしまう、と思い込み、じっと横になったままでいる。つまり恐怖心が起こり、恐怖心に完全にとらえられてるのである。
恐怖心が起こるとアドレナリンが更に分泌されるので心臓はいっそう興奮し、鼓動がはげしくなるだけではなく、発作そのものが長引くことになる。

”恐怖→アドレナリン分泌→恐怖”という悪循環のなかにすっぽりおち込んでしまうのである。

p.52 体内の感じを言葉で表す
あなたが抱く不安が、あなたの酷く忌み嫌う違和感を生み出しているのである。

恐怖を恐怖することでパニックになるか。

p.85 心悸亢進
心悸亢進(心臓の鼓動が急に早くなる現象)で、飛び上がるほどびっくりする。しかし短時間時しか続かない。

しかしうろたえてならない。うろたえるほど、アドレナリンの分泌放出は増え、心臓の鼓動はいっそう早くなる。
しかし脈を取って実際に計れば、せいぜい毎分120といったところである。健康な、普通の心臓であれば、毎分200以上でも、何時間も何日も、十分耐えうるし、少しも痛まない。

心臓が走り始めたら、何よりまず、くつろぐことが大切である。リラックスしたら、次に心臓が駆け足で走ろうと、好きなだけ走らせ、自然に”並足”にもどるまで待つことである。

p.108 戦いの最前線
ほんの短い間でも、恐怖に圧倒されない時間が持てると、そのたびごとに神経は静まり、弾力性を快復していく。その結果、ちょっとした刺激に左右されなくなり、不快度も低下する。こうしたプロセスの最後の結果として、これまでの苦しみが一切過去の思い出に化するのである。

貝谷さんの本新版 不安・恐怖症 (健康ライブラリー)
にもあった完治へのプロセス。

p.111 忘れたころに、また…
発作がいつ不意にたちもっどても、多少のショックは感じても、おびえて逃げ去ろうとしてはならない。まず、踏みこたえることである。落ち着いてゆっくり進み、発作の嵐が体内を貫くのを見守りながら、当面の仕事をそのまま静かに続けることである。

できるかなぁ。

p.112 記憶が余燼をもえあがらせる
*余燼(よじん)とは事件などの一段落したあとに、なお残っているもの。また、その影響。
神経症からの回復は、発作そのものをなくすことではない。発作に対処する考え方、態度を変えることの中にある。

再発も考えるとその通り。
更新(2012/09/17)逆に言うと完治はないとい意味か。発作は一生つきまとうので、それと上手くやっていこうというのがこの本の趣旨か。
自分は発作自体を無くし完治したい。

p.113 挫折の意義
実際の所、最悪の再発は、患者が完全に回復する直前に発生する可能性が大きい

p.176 浮き沈み
回復の程度を日の単位で測ってはならない。自信と希望を持って前途を見るということは、これの上なく大きな助けとなる。そうすることにより、昨日、今日、明日という日々にとらわれず、それらのそばを通り抜け、首尾良く回復のゴールに到達することが出来るのである。

p.263 して良いこと、悪いこと
1 恐怖心が起こっても、それから逃げないこと。
それを分析し、それが体内の一つの感覚に過ぎないことを確かめること。体内の感覚なんぞに驚かされて、身をすくめるようなことを避けること

2 神経症に伴って生ずる奇妙な感触を洗いざらい受け容れるようにすること。
それらを征服しようと踏ん張ってはいけない。それらの上に浮かんで通ることである。それらが一時的なもので、やがてうたかたのように消え去る、と言うことを認識しなくてはならない。

3 自分を哀れむ、いわゆる自己憐憫にふけってはいけない。

4 積もり積もった問題を出来るだけ早く片付けてしまうこと。
具体的な行動を持って解決できない場合には、新しい視点を受け容れ、それをしばしば思い起こすことで、片を付けてみること。

5 「あのとき、ああやっていれば」とか、「もし、こうであったなら」などと、過ぎたことを悔やんで時間を浪費してはならない。

6 悲しいことがあっても、目をそらさず、面と向かってこんにちはと挨拶する。
すべて時が解決してくれる、ということを心得ていること。

7 何かをして気を紛らせること。
ベッドに横になったままで、あれこれ考えるなんて事は辞めなくはならない。何事も心を平静にして、それで自分が忘れられるようにと、がむしゃらにするのは良くない。

8 筋肉の力は、自信に満ちてそれを使うときに現れるものである。使うときの自信いかんで筋肉の力が決まる、ということを記憶して置いて欲しい。

9 強迫観念に苦しめられる時には、いかなる強迫観念であろうと、それを受け容れ、しばらくの間、本当に平和共存していく心構えを持つこと。
それを追っ払おうと戦ってはいけない。時間が追い払ってくれるのに任せること。

10 ”外野席”がどんなにいおうと、あなたの回復は必ずしも「あなただけにかかっている」ものではない。
あなたには助けが必要な場合もある。そんなときは、恥ずかしがらずに、喜んで助けを受け容れること。

11 今日、明日といった短い物差しで回復の度合いを測ってはいけない。
もうすでに何ヶ月、何年も、この病に苦しんできたからといって、絶望することはない。今までにどれほどが長引いてきたとしても、いったん正しい軌道に乗りさえすれば、かならず回復へのゴールインが出来るのである。

12 しりごみすることは、あなたをしっかり閉じ込めて逃がさない牢屋番のような役割果たすものである。
恐慌的発作にみまわれたとき、回復が発作のこっち側にではなく、向こう側にあることを銘記しなければならない。あなたの渇望する”恋人”は、あなたが知らずに恐れている場所であなたを待っている。このことを忘れてはならない。

13 病気である間、なかなか決心できなくても気を落としてはならない。
病気が良くなれば、決断することもたやすくなる。

14 全く手を挙げてしまうようなことは、決してしてはならない。
自分に対してもう一度チャンスを与えることが出来ないほど手遅れな状況というものは、あり得ない。

15 何でも「試しにやってみる」というのはいけない。
いつでも本番としてやることである。

16 面と向かうこと。受け容れること。浮かんで通ること。時間が流れていくのに任せること。

12番は比喩を使ったため何を言いたいか分からない…。
発作のこっち側、向こう側って何を指しているんだ?

出版社/著者からの内容紹介
神経症の原因と対策
《あなたをとらえる悪循環》恐怖→交感神経の興奮→アドレナリン分泌→恐怖
《四つの治療原則》直面する、受け容れる、浮かんで通る、時の経つのにまかせる。
《心の松葉杖》足の怪我に杖が必要なように、疲れた心にも他からの助力が必要。
《三人の良友》生活の変化、興味ある仕事、心を打ち明けられる友人。
不眠症対策》やたらに眠ろうとせず、逆に聞き耳をたててみる。
《少し甘える》神経症の主婦は、時にはぜいたくしたり、家事を一時放棄する。